出版社内容情報
「音」は映画的ではない?――声にためらい、音楽を軽視したとも言われる小津安二郎だが、トーキー以後の作品には、巧みに音が配されている。音楽にとどまらない「音」と映像の連関を丹念に読み解くことで、そこに生み出された驚くべき効果を明らかにし、小津論・映画論の新地平を拓く。
内容説明
声にためらい、音楽を軽視したとも言われる小津安二郎だが、トーキー以後の作品には、巧みに音が配されている。音楽にとどまらない「音」と映像の連関を丹念に読み解くことで、そこに生み出された驚くべき効果を明らかにし、小津論・映画論の新地平を拓く。
目次
第1部 物音(引戸の音―『東京物語』(一九五三)における例外的な音と物語との連関
屁の音―『お早よう』(一九五九)の変容する屁の音)
第2部 言葉(大阪弁―『淑女は何を忘れたか』(一九三七)における方言の使用とその擬似性
画面外の声―『お茶漬の味』(一九五二)にみる不可視の話し手の力)
第3部 音楽(オルゴール音楽―『麦秋』(一九五一)における〈我が家〉のライトモチーフ
ピアノ音楽―『秋日和』(一九六〇)における「場ふさぎの音楽」)
第4部 テンポ・間・リズム(テンポと間―小津映画の〈遅さ〉について;映像とリズム―小津映画における〈無人のショット〉)
著者等紹介
正清健介[マサキヨケンスケ]
1984年熊本市に生まれる。2018年一橋大学大学院言語社会研究科博士後期課程修了。日本学術振興会特別研究員等を経て、東亜大学大学院総合学術研究科准教授、博士(学術)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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